ふとっちょ婆さんの戯言

ささやかな喜び

つらくて~~

2008-03-31

 これ以上書くのがー考えるのがー辛くて~~
 それでもやっぱり、最後まで書くことで気持ちを切り替え、、もういないんだ、と心に言い聞かせなければ・・・
 そうする事で忘れるのではなく、心の中にしっかりとしまっておこうと思います。
娘もいつまでも引きずってるより喜んでくれるかな?ってね。

 何日か考えに考えた上、みんなと相談し、夜だけでも眠れるように、と安定剤の投与を決めました。
 夜10時始めての点滴が始まりました。その薬が三分の一、入るか入らないか~~ もう寝息をたてて寝ています。
 その寝顔を見ながら、私は一睡も出来ませんでした。

パソコン教室

2008-03-30

 楽しみにしていたパソコン教室。 ここのところのいそがしさと寝不足で風邪気味だけど、どうしても行きたいとでかけました。
習った成果です・・  ちょっとぼけていますが孫の写真いれてみました。今度はこの中に入れてみます。
 
 雨の中、遠いところまで教えに来ていただきまして                   本当にありがとうございました。
また来月もよろしくお願いいたします。

ピンピンころり

2008-03-29

 今日は予防医学のお話しをききました。
自分の身体は自分で守る。いつまでも、そう、その日が来るまで元気で・・・ その為に食事、睡眠、ストレス等々、生活習慣をしっかり見直さなければ~  と思いました。

思い出を残すかのように~~

2008-03-28

 今までの事がウソだったかのように、毎日楽しく話し、散歩し、夜は子供たちと遊びました。  良くなったらお母さんも一緒に田舎に行こうね、等々・・・
 つい何日かまえ、昼間、少しの間家に帰ると、<<怖いよう!その日が今日かも~~>>とメールが来ていたのに。

 しかしそんな日はそう長くは続きません。2週間あまり過ぎ、痛みは頂点にたっしたのでしょうか・・  もう モルヒネも増やせず、座薬と点滴の繰り返しです。。
先生は「安定剤を投与してその日をゆっくり迎えさせてあげましょう。」と言うのですが、私は 決心がつきません。
もしその眠りのままになったら~ と思うと。

痛みがひどくて

2008-03-26

 一日一日痛みはきつくなり、モルヒネだけでは治まらなくて、座薬、点滴と薬はどんどん増えていきます。それだけまた副作用もはげしく四六時中嘔吐に苦しむようになりました。
看ているだけでも苦しくて、可愛そうだけれど、鼻から管を入れて、胆汁を抜くことにしました。 始めは気持ちが悪いので抜こう抜こうとしましたが、暫くして諦めたのか、慣れたのかそのままにしていました。
 妄想、幻覚、そして眠りを繰り返しながらまた10日あまり~~
今度は体調も機嫌もよく意識もハッキリした日がつづきました。

 子供たちも毎日夕方には来て、その日の出来事を話し、嬉しそうに、楽しそうに一緒に歌ったり、本を読んだりする毎日でした。

運動会がおわり~

2008-03-25

 緊張した日が過ぎ、暫くはその思い出をかみ締めるかのように、うつらうつらと眠り続ける日が・・  そして少し加減の良い日は、病院内を車椅子で散歩したり、子供の頃の話しをしたり、ある時は一緒に折り紙をしたり、と過ごしていました。ところが、そのうち突如、錯乱が起き、幻覚状態に陥るようになりました。
 そんなときでもトイレに行くときは必ず”ドアの鍵しめて!”と言う事は忘れません。着替えをするのも、身体を拭くのも私か妹でないとダメ、若い娘にとって、こんなになっても恥じらいは忘れないものなんです。哀しいくらいに女、いえ女性なんですね!!

観に行けて~

2008-03-24

 念願の運動会、始めは中学に~  走る長女の姿に涙して。
一日置いて小学校へ。せっかく体調も良く行く気まんまんなのに雨で延期、また一日おいたその日は少し体調も悪く~ 周りは心配しますが本人は何が何でもと言います。学校について息子の走っているのを目を細め、心に焼き付けるようにみています。次に娘のダンス、少し遠くて観にくいようですがやっぱり食い入るようにみています。その目にはうっすらとひかるものが~~
 私はそんな娘をどんな気持ちで見ていればいいのか・・・
 これが最後の、と思うと運動会どころではありませんでした。

陽子線治療

2008-03-23

 今日はある方からのお誘いで、粒子線センターの先生たちによる、ガンの陽子線治療についての講演会に行きました。
一昨年にも、ほんの少し粒子線のことは聞いていました。このセンターに問い合わせもしていました。けれど、それほどくわしく聞こうともせず、またまさかこんなに凄いものとも思わず素通りしていました。
とりあえずは娘に話しましたが、”そんな高いとこへ~”と言われ、そのままになりました。
いまさら、とは思いつつ、それでもあの時、もっと詳しく聞くべきだったか、なんて・・・  けれど、そんなお話しに中でも、
膵臓癌というのは、とんでもなく難しい癌のようです。

 日本中に、いや世界中にこの治療がひろまれば、そしてこんな病院が沢山出来れば、おおくの癌患者が、そしてその家族が泣かずに済むのですが~~~、

モルヒネの副作用

2008-03-23

 とんでもなくキツイ痛みを止めるのはこれしかないのでしょうが、副作用も半端ではないんですね。始めは痙攣から始まり、痩せこけた身体をベッドの枠にコンコンぶつけたり、一日中手足を振舞わしたりでした。次には被害妄想、そして一日二日懇々と眠り、またある時は幻覚症状まで・・・
 こんなことが一ヶ月以上続き、暑い夏も終わろうとしたころ、少し生きる目的が出来たのです。この日まではどうしても生きていたいと言う~~  そう、子供たちの運動会なんです。なんとしても見に行きたい・・・  
 そしてそんな想いが少しずつ頑張って、また外出、外泊と動き出せるようになったのです。
 スゴイ!!  やっぱりお母さんなんですね!!!

やる気じゃなくて~

2008-03-21

 セミナーに行くたびに、せっかく与えられたチャンス、無駄にしてるなあと思う。リーダーの方はおいそがしい中をみんなの為にこんなにも熱く教えて下さってるのに、頑張らなくては、と思う。
なのにちょっと断られると、もうへこんじゃう自分。けれど、今日は何だか違うものを感じた。ああそうなんだ!と心に響くものをもらったような気がする。  これだけはやりたいと。
やる気じゃなくて本気になろう、と。  このなんかわからない、けどほとばしる熱いものを、とりあえずぶつけてみよう・・・

i家に帰っても//

2008-03-20

 その頃には食べ物といってもごく僅か、ほとんどが点滴だけの生活です。 暫くは子供たちと話したり、遊んだりしていましたが、やはり子供のしている事すべてが気に係り、自分が出来ないことでいつもいらいらして叱ってばかりです。これではダメだとまた病院へ~~    そんなことが幾度か繰り返して・・・          
 今度は病院からこんなに出たり入ったりでは困る、どちらかに決めてくれ。といわれ、また病院に戻る事になりました。
 その間にも癌はどんどん大きくなり、痛みはきつく、モルヒネの量だけが日に日に増えていきました。
 ところが不思議なことに、他の臓器が丈夫で、どこにも転移していないのです。 こんな事ってあるのですね!!

我が家に帰りたい~

2008-03-19

 そしてまた新しい病院での生活が始まりました。
入院した日先生は”ここでは検査も治療も一切しません。ただその日が来るまで、出来るだけ穏やかに過ごせるようにお手伝いはします。その為の吐き気や痛みを和らげる薬は出します。”と。
結局は、ただ旅立つ日を静かに待て!と言うことなのです。
それも多分、その日はそう遠くない、2・3週間のちだろうと・・・
その間に、在宅医療も可能とか・・・
そんな病院暮らしを1週間あまりして、少しでも子供たちと暮らせたらと在宅医療に切り替えました。

宣告

2008-03-18

 また、癌が大きくなり食べ物が通りにくくなってきました。
痛みがきつくなり、モルヒネの量がどんどん増えていきます。そしてついに宣告それたのです。しかも本人直接に~  
 ”次のお正月は迎えられない・・・”と。 なんて残酷な~~
 
 娘は何日も昼も夜も殆ど眠れない日を過ごし、泣いて泣いて、涙がかれるほど泣いて、それでもようやく決心して、その事を子供たちに話したのです。
三人三様に聞いた子供たちは勿論、私は、話した娘の気持ちを思うと何も言葉がありませんでした。

 そんなことがあって、その先生から言われた言葉 ”この病院では死んでくれるな!!” ”死ぬのは他の病院で!” と・

 なんて事を、と腹を立てつつも、子供たちがいつでも会えるように、と近くのホスピスまがいの病院へ転院することになりました。

おいしい~

2008-03-17

 そうして少しずつお水、ジュース、果物と食べられるようにはなりました。大好きなももをこんなに美味しかったのかと嬉しそうに・・
 私たちは普段食べられるのは当たり前、だから、まずいや辛い と言います。水も飲めないなんて考えられないことです。
食べられなくなって、食べる、いや食べられることの喜び、そして大切さを痛切に感じられるのかも知れません。
でも、そんな喜びも長くは続きませんでした。

食いしん坊の娘が~

2008-03-16

 これが長期入院のはじまりでした。
家族中で一番食いしん坊の娘、食事には気をつけ手をかけていました。そんな子がなんにも食べられないなんて・・・ 残酷です
一ヶ月が過ぎ、少しでも食べられるように、と今度は十二指腸にバイパスを通す手術をしました。これで少しは食べられます。 といわれたときの嬉しそうな顔は今も目に浮かびます.

食べられなくなって

2008-03-15

 そんな治療が何ヶ月かつづいて、今度は食事が喉を通らなくなってきました。そのころには家事も出来なくなり、近くに住む妹が何かと手伝っていました。私が少し忙しくしている間にどんどん食べられなくなって、見る見る痩せてきました。 
 ガンが大きくなり十二指腸を圧迫、胆汁が流れなくなっていました。このままではと先生と相談、内視鏡手術をし、食事のかわりに点滴をと言うことで、入院することになりました。

治療がすすみ~

2008-03-14

 抗癌剤(ジェミナール)を週に一度、3週して1週休み、そんな治療が半年程続きましたが。ガンは大きくはならないまでも小さくもなりません。結局これでは放射線も手術も出来ず、娘はウツのようになってきました。 仕方なく神経内科のお世話になりこう鬱剤と増眠剤を呑むことに。
 その頃から娘の神経はズタズタになり、イライラが酷く落ち着いて坐っていることすら難しくなってきていました。
その間、胃、肺、肝臓等々検査ずくめです。そしてある日、肺にごく小さな影があるので、転移かもしれない。その為抗癌剤を変えます.と言われそれに従いました。 
その頃から痛みが強くなり、ますますイライラが増していきました。
そんな身体で電車を乗り換え大阪まで・・そして受け付けてから3時間4時間と待たされやっと診察、そして抗癌剤投与、と一日がかりです。 家に帰るともうクタクタで2・3日は動けません。
そんな日が続いたある日、娘の神経はもう最悪の状態まで来ていました。
そしてあのメールが来たんです・・・
  ”お母さんごめんなさい。くすり みんな呑んでしまった。○○くん、△△、××、□□の事お願いします、いろいろありがとう!”  と。
 足はがたがた、身体はぶるぶる もう何も考えられません。
夢じゃないかと思いつつ、下の娘に電話をかけ、娘の家にすっ飛んでいきました。 
救急車で病院へ。運良く軽いくすりだったので、何事もなくただまる一日懇々と眠りつづけていました。
もう生きてる気持ちもしないまま、暫くはつきっきりでいました。その時対応した医師の言葉を私は一生忘れられません。
どんな気持ちで付き添ってきたかわからないのかと~
その時医師は「こんな薬、100錠のんでも死にませんよ!」とはき捨てるように~~
 はらわたが煮え返る
と言うのはこの事なんですね。これって医者の言う言葉でしょうか・・・
 
 結局これは、こう鬱剤と吐き気止めの副作用から来たことだったようです。
こうしてまた治療がつづいていきました。

告知をうけて

2008-03-14

 何日か過ぎても胃の痛みは治まらず、近くの開業医で検査を受けました。レントゲン、CT、血液検査 など。
「膵臓に影がみえるので、一度大きな病院へ・・・」そしてまた同じ検査です。結果は同じでした。つぎはPET検査。それでも答えは出ません!!
 そんな時、友人が膵臓なら○○センターが良いからと紹介状をいただきました。
 予約、診察、検査と進み、結果を聞きに。   おそるおそる診察室に入った途端、間髪いれず一言  ”膵臓ガンです!” と。先生は顔色も変えず・・・ なんと言うことでしょう!!
 治療の先生にかわり、説明されましたが、頭は真っ白です。
抗癌剤、放射線を併用してのち、手術をすれば治ります、完治も。 娘たちはその言葉を信じ、私が何を進めても聞きませんでした。
それだけ真っ白の頭に焼き付けて~~~
その日から治療が、そして娘たちの闘いが始まったのです。

どうして?

2008-03-12

 3年前の2月のとても寒い日曜日、突然夫が旅立っていきました。
初七日、四十九日といそがしい日を過ごしている頃、長女の身体に異変がおきていました。
 ”胃が痛い!”誰もが、そりゃ神経性やろ! と思っていました。 勿論本人も。

逝ってしまった娘

2008-03-11

 今日11日は娘の命日
 思えば一昨年の11月11日の朝でした。娘は38歳の若さで私たちを残して旅立っていきました。
 この娘の辛さ、苦しさ、そして悔しさを書いていきたいとおもいます。
 <ガン> と告知されたあの日、私は生涯忘れる事はないでしょう。
 その夜は娘は勿論私も一睡も出来ず、長い夜を過ごしました。

   ”どうして? どうして○○子なん?”

と、悲痛な声で訴えた娘・・  代われるものなら・・・
この言葉から始まった1年半の壮絶な闘いを。
  どんなに怖かったか~~

植替え

2008-03-11

 ぽかぽか暖かいので、上着も脱ぎ捨ててお花の植替えをしました。
古い土を干し、新しく用意した鉢に苗を植え替えた。これで根を大きく張ってきれいな花を咲かせてくれることでしょう。
 楽しみで~す!!

ひ と り ・・・

2008-03-10

 娘たちが帰って行きました。
 また一人になった今日はいやな雨、何だか淋しい・・・
こんな時、ミーティング・オンラインが出来たら~ と。
今度一緒に行って娘のパソコンのカメラとイヤーホン買いに行こう、っと。せっかく使える機能 使わない手はないですものね!
 しっかり覚えてしっかり利用しなくては~~

暖かい朝

2008-03-10

 ここのところ、娘達が来ているので、一緒になって朝寝坊していたのですが、今日は朝早く目覚め、その暖かさに飛び起き、思わずベランダに出て、思いっきり深呼吸をしていました。
 やっと 春の朝を感じたひとときです。
さあ 今日も一日ガンバルぞ!!

暖かい朝

2008-03-07

 少しゆっくりした朝、なんだか今までと違う暖かさ・・
急に暖かくなったようです。 ほんの少しなのに身体はかるく動きます。
 さあ春です! 心もかるく思いっきりはじけましょう!!
 目的にむかってまっしぐらに~~

少しは薬が効いたようです

2008-03-05

 娘の足の痛みが少しましなようです。たぶん、今回の治療が効いたのかも~  それなら良いなあ! いや、そうであってほしい!!
 なんだかちょっと明るい兆しが・・・
   嬉しくて涙が出そう・・・

母娘

2008-03-04

 今日は娘たちと食事に出かけました。
和食のバイキングでホントに美味しいんです。30種くらいの煮物、焼き物、少しの揚げ物など・・・
これだけの種類作るのは大変だろうな と話しながら、あれもこれもとすこ~しずつぜ~んぶ・・・    いただいちゃいました。
娘たちも大満足でした。

 親子、孫と家族みんなで外食はしますが、娘と私だけと言うのことは今はありません。 でもたまには良いですね。
これからも、たまにはこんな機会をつくろうと改めて思いました。

ひなまつり

2008-03-04

 今日は孫の初節句!
 娘夫婦が一生懸命祝い膳をつくり、招いてくれました。

 お雛様の前にちらし寿司やケーキ、菱餅にひなあられなど、ところ狭しとならべ、その前に何もわからないままニコニコ笑って坐っている我が子を、嬉しそうに眺め、撮影している二人を見ていると、になったんだなぁ と私まで幸せを感じました。
 元気ですくすく大きくなってね!!
そして、いつまでも家族仲良くしあわせに!!!

知る と言うこと

2008-03-02

 パソコンを知ることで、どんなことでも 検索! てやっちゃいます。もともと機械の好きな私は、パソコンにどっぷりつかりそうです。 いくつになっても何かを 知る ってことは嬉しいことですものね・・・

 これからもいろいろ教えて下さいね。
     よ ろ し く ~~~

おかげさまで~

2008-03-01

 インターラッシュにかかわり、パソコンが必要というので、セミナーで教わり、また自分なりにすこ~し勉強しました。

そんなことから、いろんな事を調べることを知り、毎日あれやこれやと調べています。

 おかげで、また新しい人生が始まりました。
 

プロフィール

毎日毎日を大切に暮らしたいと、思っています。

カテゴリ

最近の記事

最近のコメント

過去の記事

リンク

RSS

アクセスカウンタ

00005797