法要のあと、みんなでホテルに。 40人の大移動です。
会食のあと、温泉に・・ 久しぶりにゆったりとお湯に手足を伸ばし
心地よいひとときを過ごしました。
朝からはホテル内のグランドで、老若男女(6歳から90歳まで)
総勢30人でグランドゴルフ大会です。
ほとんどが初めてとのことで、ワイワイガヤガヤ、キャーキャーと
賑やかなこと・・・
おしゃべり、笑い、そんな中で汗だくになって走り回り、みんな子
どものようにはしゃぎ、楽しみました。
グランドゴルフがこんなに楽しいものだと始めてしりました。
終わりました、一週間。 あっと言うまでした。
長い間創り貯めた作品を、多くの方に観ていただく作品展。
結構良い評価をいただき、無事終える事が出来ました。
前回のより上達してるね!と言う声が多かったのは、やっぱり頑
張った成果。 よかった!!
もう蕾に花びらの色まで出ているのになかなか開いてくれません。
ぱっと良いお天気になって、暖かくなれば~~って待っています
が・・
娘に言わせれば、<切られる為に咲かせられる可哀相な花>だそう
です。でも、私はその切った花に、もう一度いのちを吹き込むのだ
から~ と信じています。
だから押し花が綺麗に出来たとき必ず ”ありがとう”とお礼をいいます。
そして、花びらの一枚までも大切にしています。それが綺麗に咲い
た花を手折った者の心だと思って・・・
押し花をしている者の気持ちだと思って。
壮絶な闘いでした。
<< ガンです! >> と言われて、一年半。
どんな気持ちで暮らしていのか、私にはわからない。
ただ、どんなに怖かったか、どんなに辛かったか、計り知れないも
のがある。
子どもたちに宛てた手紙、どんな気持ちで書いたのか・・
子供達はそれを、どんな気持ちで読んだのだろう・・・
それぞれの心の中に今もしっかり生きているにだろう!
そして私の心にも。
どんなに深く想いを馳せても帰りはしない、ならば、娘とのいっぱ
いの思い出をしっかり胸に収め、前だけを向いて歩いていこう。
逝ってしまった娘のためにも~~
< ガン >strong> この世にはびこる最悪のヤマイ
大切な娘を私から奪い取っていった、にくいヤツ・・
”ゆっくりおやすみ!! 良く頑張ったね!”
”子どもたちをいつまでも見守っていてね!!!”
やっと2時間、痛みもなかったのかぐっすり休み、目覚めた娘
「おはよう!今何時?」 「6時よ」 「やっと朝になったなぁ」
そんな会話をしているとき、「なんか気持ちわるい~」
「寝てる間に胆汁たまったんやなぁ すぐ抜きに来てくれるから~」
と、胸をさすっていると、「苦しいよう!早く看護師さん呼んで!
はやくはやく~~」と。
そんな言葉が終わるか終わらない、その瞬間! もう娘の目はこの
世の人のものではありませんでした。
「ゆりこ!ゆりこ~~・・・・・」
慌てて、主人に、兄弟たちに携帯電話を。
待つ暇もなく、たったひとり私だけの腕の中で、それほどの苦しみ
もなく、静かに旅立っていった娘、あまりにも早い、余りにも若い
娘との別れでした。
<親を残して先に逝ってしまうなんて、親不孝だよ!>
とすがりつつも、涙さえ出ない、哀しいなんて、言葉でいえるもの
ではありません。
<せめて、もう一度、もう一度で良い、”お母さん”て読んでほ
しい!!>
お風呂に入り食事をして、また病院へ。
もうとっくに眠っているだろうと、そっと病室を開けると、足が痛いと主人にさすってもらっています。暫くして、明日朝早いから、と帰ろうとする主人に 「いやや、いやや!帰ったら嫌や!!」
と言って帰らせません。
「じゃあ、お母さんが子どもたちの所へ行って、孝司君に泊まってもらう?」と言っても、やっぱり「嫌や!誰も帰ったらいやや!!」「みんなここに居て!」と帰らせません。
<じゃあずーっとここにいるから、ちょっとおやすみ!>
と言ってから、安心したのか、静かに寝息を立てて眠りました。
そして主人は帰りました。
それからも、30分おきに足の痛みやだるさに目を覚まし、なかなか眠れないようです。おまけに今夜は腹水が溜まってはちきれそうになり、身体を横にすることもできません。カカトが水ぶくれのように水が溜まり擦ることも出来ません。
それでも4時、もう一度安定剤を打ち、身体中をさすっていると、ほんの少しでも楽なのかゆっくり眠りに入って行きました。
朝から娘に看病を代わってもらい、娘もまた、子どもの学校の事で出かけなければ、とほんの一時間息子の嫁に看てもらったのを、”やっぱりお母さんも○○子も自分の事は大切やろうし、私は大丈夫やからズーッといなくてもいいよ!”と怒った調子で言います。
たぶん、嫁では頼めないことがあって、淋しかったんだなと黙って効いていました。
夕方、長女がクラブの帰りだといってやってきました。
<お水が飲みたい!>といったと言うので吸い口に少し水を入れ、そっと含ませようとすると、ゴクゴク!! と一気に飲んでしまいました。
今の今までアトマイダーの霧のような水すら飲み込めなかったのに~~???
今度は、<氷がほしい!>
と。そして氷をカリカリカリカリ・・・
<もっともっと~~>と水をがぶがぶ、氷をカリカリ。 いったい何が起こったのか???
1リットル以上の水にかなりの量の氷、持っていってた水を殆ど飲み干して~。お腹でも壊してはと「もうないよ!」と言うと「コンビニで買ってきて!」と。「今は夜中だから~」と言うと「じゃあ、朝になったら△△子が買って来て上げるから~」と・・・?
そしてまたいつものように私は、少し晩いけれど、お風呂に入るために交替して帰りました。
早く帰ってきてね!という娘の言葉に後ろ髪引かれながら~~
もう娘は身体も心もぼろぼろになっていたはずです。
けれど、少しでも体調がいい時はいろんな話しをしました。
壁が寂しいから折り紙でいろんなものを作って張ってほしいと言って、自分も一緒に作ろうとします。鶴一羽を必死で折りますがなかなか上手くいきません。そしてすぐ疲れてしまいます。 それでも毎日子どもたちも一緒に嬉しそうに作っていましたが、、、
ある日、その鋏ちょっと貸して? と言うので(なにかいやな気持ちで)渡しました。その瞬間、娘は鋏を両手でしっかり握りしめ、胸に!!! 私はとっさにその手を払いのけ、そして言葉もありませんでした。
だまって手を握り締め、涙を飲み込み、いつまでも抱き合っていました。
朝になっても昼になっても眠り続ける娘。
夜になれば安定剤で眠らされ、昼間も朦朧としていることの多い日々。
それもだんだん効かなくなって、座薬と点滴でその痛みを何とか止めては少し眠るという繰り返し。
夜中に家に"早く来て!”と電話したり、時には余りの痛さに、救急車を呼んで!と携帯でかけようとしたり~~~
もう痛さはピークになっていたのでしょう!!
何度か夫に ”おねがい!ころして~!!”
といったそうです。
私にも一度だけ、りんごを剥いている時に胸をたたき、”ここに刺して!" と涙ながらに、悲痛な声でいったことがあります。
(それだけは考えないで!子どもたちの為に一日でも一分でも~)
と言うと (何の意味がある?) ときく。
(子どもらはここに来ればお母さんが居る。それだけで意味があるんだよ!)と私は答えた。
娘だってわかっている、頭では・・・
朝になっても昼になっても、娘はコンコンと眠り、その日は夕方まで眠り続けました。
夜になって、今日は止めようと思いましたが、病院側はした方が良いだろうと言い、仕方なく半量だけを投与、けれど、これだけではなかなか眠れないのです。
そんなことで、また次の日から毎日毎日夜になると安定剤で眠らせられるようになりました。それでもだんだん痛みの方が強くなり、痛み止めをしなければなりません。
その頃から、もうトイレも行けなく・・・
足はパンパンに腫れ、もう自分では自由に足の曲げ伸ばしも出来なくなっています。
身体中ベッドの枠に打ち付けて痣だらけ、やせ細って骨と皮、もう元気な頃の面影もありません。
すくいは髪は全く抜けず、不思議なことに顔だけはほんの少し痩せただけ、顔色もよくて、とてもここまで悪くなっているとは思えないのです。
これは、ここまで来ても他の臓器は元気で、全く転移がなかったからでしょうか・・・
今までの事がウソだったかのように、毎日楽しく話し、散歩し、夜は子供たちと遊びました。 良くなったらお母さんも一緒に田舎に行こうね、等々・・・
つい何日かまえ、昼間、少しの間家に帰ると、<<怖いよう!その日が今日かも~~>>とメールが来ていたのに。
しかしそんな日はそう長くは続きません。2週間あまり過ぎ、痛みは頂点にたっしたのでしょうか・・ もう モルヒネも増やせず、座薬と点滴の繰り返しです。。
先生は「安定剤を投与してその日をゆっくり迎えさせてあげましょう。」と言うのですが、私は 決心がつきません。
もしその眠りのままになったら~ と思うと。